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インプロビゼーション
言葉を超えた深い繋がり
どこまでも高く飛翔する!!
「ゾーンに入るとは?」
シュタイナーのオイリュトミー芸術からヒント得て考案した「ひらがなインプロ」
の発展系でもあり、レペテイションのアクション版ともいえるアクテイングを総合的に発展させたエクササイズ。言葉は使ってはいけないルールの元、擬音語やジブリッシュは大いに結構。二人一組となり交流する。
交流は義務ではない。が、舞台に二人立てば、お互いに何かしらの影響を与え合う。
無視するそぶりでさえ、相手を認知しているからこそ起こるのである。
相手のエネルギーを機敏に感じ取り、相手のアクションに本能的反応ができるようになると
ドラマチックな展開となる。言葉が使えない分一切の誤魔化しは効かない。
逆説的にはセリフが無い分、注意の集中を100%相手に向けることができ、
分断された意識になりやすいのも特徴だ。
そもそも日常のコミュニケーションでも、言葉以上に、相手の息づかい、表情、眼の動き、声の抑揚、ジェスチャー、醸し出すエネルギーなどに多くの注意が注がれている。
少々乱暴な言い方をすれば、言葉は単なる情報に過ぎず、
相手のそのエネルギーにこそ真実が表れている。セリフは物語を進行させるためのものであり、最も重要なのはその言葉を言わしめる内的動機とリアリテイーだ。
それが適って初めて、言葉は「言霊」として「言の葉」の役目を果たす。
いくらセリフの言い方を直したとしても、肝心要のリアリテイーがなければどうにもならない。
リアリテイーが強ければその素粒子は必ず拡散する。舞踊でもそれは同じ事だ。
人間の機能として、思考が働いている時、感情はストップする。
三次元の思考の介入は、〈怖れ〉が引き金となる。すると想像の世界に生きられなくなる。
頭で演じるわけにはいかない。よく言われる段取り芝居がこの頭の作業だ。
段取りの前に「今ここに!」相手役との交流が生まれなければ、世にもつまらない演技となる。
サンフオード・マイズナーが
『川の流れが感情だ。その流れに浮かぶ筏がセリフである』といったように、
この川の流れが最も重要なのだ。浅い「フリの感情」では観客の心には届かない。
役の真実の感情を表現するのが俳優の仕事だ。
役の奥深くに潜む真実の感情こそを掘り、自分の中に同じものを見つけてアクセスし表現する。
俳優とは「真実を語る者」である。
このインプロで、ほとんどのメンバーが「分断された意識」を体験する。
分断された意識とは、簡単に言えば、潜在意識に全てお任せの状態である。
アスリートなどが、「ゾーンに入った」「フロー状態」と言われる次元だ。
自分自身を全て潜在意識に委ね、俳優はことの成り行きを見守るだけの状態となる。
勿論、自分自身が何をやっているか分かっている。
見守る自分は0,65%だけだ。
この分断された意識の状態を何度も経験できるようになると、
『奇跡の瞬間』の体験もまじかだ。
私自身も体験したことがあるが、その感想は一様に「自分は何もしていない」「すごく楽で努力が要らない」「褒められても実感がない」「時間の感覚がなく一瞬の出来事のように感じる」
正にこれが軌跡の瞬間と呼ばれる「役を生きる」なのだ。
潜在意識とは我々の日常の人知を超えた、
かくも荒唐無稽なことをやってのけるものであると毎回驚くばかりである。
普段では到底できないようなアクロバテイックで危険とさえ思われるような動きや、
目にも止まらぬような素早い動物的な動き、相手を殺めたくなるほどの一体感を感じるなど、
正に、日常から飛翔した別次元のドラマを目の当たりにする機会に出合える。
分断された意識の体験までに俳優は、
自分の心と体のコントロールが完全にできる意志の力を育んでおかなければならない。
メンバーが最も好むエクササイズである。
役を深い次元で掴むことによって、台詞へのストレスは確実に減る。
あぜならあなたは、役が「なぜその言葉をいうのか?」その深層心理を知っているのだから。
「インスピーレーションに突き動かされた演技」を体感して欲しいと切に願っている。
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